コーチというと、手取り足取り教えるもんだ、と思われがちだ。
 優秀なコーチというのは、選手が調子のいいときには、ただ見守り、ときど
きホメてヤル気を出させ、不調なときはそばにいて心の支えになってあげる、
そんな恋人のような存在が望ましい。ま、なかには彼氏彼女にあれやこれや口
出しするうるさい恋人もいるが。
 あと、集団スポーツなら選手間の調整をしたり、個人競技でも練習メニュー
を考えたりはあるかもしれないが、それも必要であればという程度。
 コーチの存在意義は「先に経験してる人」ということだ。その人自身の経験
はもちろん、大げさに言うと、「世界の経験値」というものがあって、それを
だいたい把握している。だから、選手が質問すれば、答えてくれる。穴に落ち
ている場合は、「いま穴に落ちてるよ」と教えてくれる。
「それはみんな落ちる穴なんだ」
 そして、これまで試みられた脱出方法をいくつか示してやる。すると、闇の
中にいた選手は光が見えたような気がする。アドヴァイスが実際の役に立った
 いわゆるカベにぶつかって悩んでいる人はまわりがぜんぜん見えてないこと
が多い。どんどん自信を失くし、こんな高いカベはとても越えられないと思い
込む。でも、そのカベは幅1mしかなかったりする。ほんのちょっと右か左へ
でもズレれば、いくらでも通り抜けられるんだ。いつかは自分で気づくだろう
が、それには時間がかかり、もったいない。
 ふだん接するときのアドヴァイスというのは、もっと現実的な、たとえば、
テーピングのしかたといったささいなことになる。こういう現場的な対処法は
本などではなかなかわかりにくいからだ。
 コーチとして、それ以上のことがなにかできると思ったら、大まちがい。す
ぐれたコーチというのは、自分がなにもできないことを知っている人を言う。
 才能は伸ばしてやることはできても、創り出すことはできない。
 赤ん坊がハイハイからつかまり立ちし、1人で歩けるようになるのに、親は
なにか教えられるだろうか。赤ん坊は見よう見まね、自分の感性でやれるよう
になるんである。親はそのとき、そばにいて感激し、「おいっちに、おいっち
に」などと、かけ声をかけてやれるくらいだ。それによって、赤ん坊は歩ける
ってすごいことなんだと理解し、しばらくそれに熱中する。
 理屈で教えられるものではないのは、ロボットに二足歩行させるために、ど
れほどの手間がかかるか考えてみるといい。人類はまだロボットを走らせるこ
とはできない。