SUMBA PAGE1

バリ島のデンパサール空港から一時間半、雑踏も蒸し暑さもないSUMBA に到着した。波は余っており、というかサーファーはめったにいない。当然波は乗り放題である。もちろん大きなリスクは背負わなければならない。空港からサーフポイントにたどり着くまでが冒険である。

ウルの丘の上にあるリペア小屋

 インドネシアにサーフィンをしに出かけはじめてから20年になる。バリの人達が自分たちの回りの環境が宝物だと気がつく前ののんびりしたバリ、そして現在の発展成長期のバリ。INDONESIA のEASTSIDEに位置するSUMBAへの旅は、まるでそれ以前のインドネシアへタイムトリップしたようだった。 



パダンパダン


以前、ウルワツに行くには、クタから埃だらけのでこぼこ道を40分のドライブ、キャリブーを引き連れての50分の山歩きが必要だった。やっとたどりつき、丘の上から波を見たとたんに体力が尽きてしまう者もいた。ウルワツの崖の上に並ぶワロングはまさに砂漠のオアシスである。パダンパダンとなると更にそこから約3Km、それもかなり険しい断崖を徒歩で降りなければならなかった。パダンに行こうとなると当然ウルは6フィート以上、さらに掘れている波を求めて1時間も歩くなどとは普通の神経では考えられないことであった。
 今須とマメとで行った時はクタから船で行ったりしたこともあるが、以前、今はクイックシルバーの工場を経営しているキンコンと、現在の立派な道路ができる前の山道をパダンまで単車で行ったことがある。それは大変な行程で、大きな火山岩がごつごつ出ている急な坂道を滑りやすい土が被っており、サーフボードを尻の下にひいてのドライブは本当に命がけ、日本に帰ってから、単車の運転の練習のためトライアルモデルのバイクを購入したほどだ。あの場所に道路ができるとは考えられず、ましてコテージまであるとは驚きだ。高津佐が最近、パダンの上に滞在している話を聞いてはいたけれど、道路ひとつとっても大きく変わっていた。情けないがつまり私はかなり田舎者になってしまっていたわけだ。


 しかしだんだん環境が便利に整っていくのをこのように目撃すると、本当にこれが私が望んでいたものなのか疑問に思ってしまう。サーフィンするのがこんなに簡単でいいのか?まだここでチューブに入っても大きな感動はあるのか?自分の頭の中にあるインドネシアでのサーフィンは、子供の頃に想像した冒険旅行そのままではなかったのか?あらゆる野生動物達、目は優しいが言葉の通じない人達、困難な移動、危険だがパーフェクトな波。当然、大きなリスクはあるものの、これらをひとつひとつクリアーしていってたどり着き、やっとありつく波が最高の波、そんなサーフィンが究極のサーフトリップ、サーフィンと言えるのではなかったのか。パダンの極少チューブをクリアーした後、頭にふとそんな思いがよぎった。
 今回も昨年同様 G-Land に行く予定だったが、日程の関係で不可能になった。すぐに新島のコンテストのジャッジの仕事が待っているので帰る日の変更は出来ない。たくさんの生活排水が流れ込むクタビーチではサーフィンする気は起こらず、まして雑踏のクタには滞在したくはない。その時出てきたのがSUMBAへのショートトリップの話だった。


パダンパダン


 SUMBA は私にとって、いやサーファーにとって未知の場所である。フライトキャンセルは当たり前の国内便、WILDな自然と人達、マラリアの恐怖、その他入ってくる情報はマイナス点ばかり。よく旅行者が道ばたで死んでいる、というとんでもない話まで飛び出した。肝心な波はというと、最近出版されたLonard Lueres 親子著(私は前著 "Surfing" の頃から彼のファンである。)の"Surfing Indnesia" に載っている写真では、かなり期待できるロケーションだ。そのなかで私の目指す所は "God's left"に決める。写真のキャプションのfive-star spot というのが気に入った。

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